春季彼岸会  20日 昼1時~ 夜7時~

行事

彼岸会(ひがんえ)意義 御塔婆(おとうば)建立(こんりゅう)して追善(ついぜん)回向(えこう)

彼岸会は、春分と秋分の 年 二()に行われる法要(ほうよう)です。
その春分に当たる今月二十日には、総本山(そうほんざん)において御法主(ごほっす)日如(にちにょ)上人(しょうにん)猊下(げいか)大導師(だいどうし)のもと、春季(しゅんき)彼岸会(ひがんえ)(ほう)(しゅう)されます。また、この法要は全国の各寺院(かくじいん)においても、春分の日を中心に()り行われます。
仏教(ぶっきょう)では、私たちが現在(げんざい)生活している世界のことを穢土(えど)、または娑婆(しゃば)世界と呼び、煩悩(ぼんのう)や苦しみの充満(じゅうまん)した(けが)れた国土であると()きます。この娑婆(しゃば)世界を「()(がん)」といい、これに対して(さと)りの境界(きょうがい)成仏(じょうぶつ)の境界のことを「彼岸(ひがん)」に(たと)えます。そして、悩みや苦しみを取り(のぞ)き、悟りの境界(きょうがい)に至ることを「(とう)彼岸(ひがん)」といいます。
法華経(ほけきょう)以前(いぜん)に説かれた四十()年の(しょ)(きょう)には、釈尊(しゃくそん)在世(ざいせ)正法(しょうぼう)像法(ぼうぞう)時代の菩薩(ぼさつ)たちが、無量劫(むりょうこう)という長い期間(きかん)何度(なんど)生死(しょうじ)()り返しながら六波羅蜜(ろくはらみつ)(とう)修行(しゅぎょう)歴劫(りゃっこう)修行)して悟りを()たことが()かれています。
しかし、私たち末法(まっぽう)衆生(しゅじょう)は、()(ぜん)(きょう)修行法(しゅぎょうほう)では成仏の彼岸に到ることができません。末法の衆生が成仏に到るためには、御本尊(ごほんぞん)(さま)を信じ(たてまつ)る以外にはなく、それによって、即身成仏(そくしんじょうぶつ)大利益(だいりやく)(いただ)くことが(かな)うのです。
つまり、一人ひとりが正しい信心(しんじん)修行(しゅぎょう)(はげ)み、(ぶっ)国土(こくど)実現(じつげん)をめざしていくことが彼岸(ひがん)本義(ほんぎ)といえます。


お彼岸といえば、先祖(せんぞ)供養(くよう)(なら)わしとなっていますが、このように重要(じゅうよう)意義(いぎ)があります。
ですから彼岸会(ひがんえ)においては、私たち一人ひとりが(しょう)(だい)根本(こんぽん)とした折伏(しゃくぶく)育成(いくせい)(とう)実践(じっせん)によって(いただ)いた功徳(くどく)を、諸々(もろもろ)の先祖に追善(ついぜん)回向(えこう)していくことが大切です。
また、彼岸会では、各々(おのおの)先祖(せんぞ)供養(くよう)のために塔婆(とうば)建立(こんりゅう)して回向(えこう)を行います。大聖人(だいしょうにん)様はこの塔婆(とうば)供養(くよう)功徳(くどく)について、
丈六(じょうろく)そとば(卒塔婆)をたてゝ、()(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を(あら)はしてをはしませば(中略)過去(かこ)の父母も()のそとばの功徳(くどく)によりて、(てん)日月(にちがつ)(ごと)浄土(じょうど)てら()し、 孝養(こうよう)の人(なら)びに妻子は現世(げんぜ)には寿(いのち)を百二十年(たも)ちて、後生(ごしょう)には父母とともに霊山(りょうぜん)浄土(じょうど)にまいり(たま)はん事、水()めば月うつ()り、つみ()()てばひ()きのあるがごとしとをぼしめし候へ」(御書(ごしょ) 1434)
と説かれています。


したがって彼岸会(ひがんえ)には、これらの深い意義に(もと)づき、寺院(じいん)において御本尊(ごほんぞん)(さま)のもとに先祖(せんぞ)代々(だいだい)をはじめ()くなった方々(かたがた)塔婆(とうば)建立(こんりゅう)し、真心(まごころ)から回向(えこう)をすることが肝要(かんよう)です。
この彼岸会を()()入信(にゅうしん)の家族親戚(しんせき)にも、正しい信心(しんじん)塔婆(とうば)供養(くよう)することの大切さを伝えていきましょう。その功徳(くどく)は、自らの福徳(ふくとく)となって()が身を(うるお)すことにも(つな)がっていくのです。(大白法(だいびゃくほう)1144号より)

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